2006年02月27日

玉泉堂のせんべい

51番石手寺を打ち終わり、道後温泉に泊まって区切りとするお遍路さんも多いと思うが、お土産を買おうとして目につくのはタルトや坊ちゃん団子などだ。

以前、自転車で来たときに宿のフロントの人におすすめのお土産を尋ねたたら、玉泉堂のおせんべいがいいと言われた。

でも、予約してないと買えないみたいだったので、そのときは諦めたのだが、去年歩きで訪れたときに、思い出して、ひとまずお店まで行ってみた。

道後の商店街のなかにあり、扉を開けると、店の奥さんと娘さんがやさしく応対してくれた。

話を聞くと、「温泉煎餅」はだいぶ先まで予約が入っていて買えないが、「潮煎餅(しおせんべい)」はあれば買えるということだった。

「温泉煎餅」も1枚試食させていただいた。素朴な、そのままの味という感じ。今では貴重な味わいだ。

正岡子規も、「秋モハヤ 塩煎餅ニ 渋茶哉」と詠み、この味を愛した。

何よりも、お店の人の感じがあたたかでいい。京都の老舗の和菓子屋さんとかとはまったくちがう。

いつか、予約して温泉煎餅も買ってみよう。

玉泉堂本舗
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2006年02月22日

作品のテーマは「循環」

この作品をつくられた鈴鹿芳康さんは、京都造形芸術大学教授で、3回も四国を回られたそうです。

「循環」を作品のテーマにされているそうで、世界で唯一の循環型巡礼と言われる四国遍路は、創作の対象としてピッタリです。

展覧会は2005年9月20日から11月25日まで開催されました。会期中は無休で入場は無料でした。

※写真をクリックすると大きくなります。マンダラの写真は特に大きくしました。

白衣10cm.jpg
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札所の土と空の写真でつくられた摩尼車

展覧会場となっている食堂は、毎月21日に四国霊場の「お砂踏み」が行なわれる場所でもあります。

この作品はそれをヒントにし、四国八十八カ所の札所の境内の土を絵具のかわりにして、ひとつひとつ指で画仙紙に塗り込めたものです。そしてその中心に、お寺の周辺でポラロイドカメラで撮影した空の雲の写真が貼ってあります。

摩尼糟20cm.jpg
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お遍路さんのマンダラ

このマンダラのおもしろいのは、お遍路さんの写真が入れ子状態になって循環しているところです。

1番札所の前に立つお遍路さんの写真を2番札所で出会った別のお遍路さんに持ってもらって撮影し、次はその写真を3番札所で見つけたお遍路さんに持ってもらって撮影、その次は4番札所で・・・というように、88番までずっとつながっているんです。

つまり、写真のなかに写真があり、またそのなかに写真があるというわけです。

それを目に見えるかたちに表現するため、マンダラの中央は動画になっており、写真を持っているお遍路さんが小さくズームアウトしていって次の人の持つ写真になっていくさまが連続して映しだされています。

マンダラ40cm.jpg
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縁起マンダラ展

去年の11月、京都の東寺で「縁起マンダラ展」を見てきました。

食堂(じきどう)という建物のなかには、お遍路さんの写真でつくられた大きなマンダラが掛けられており、目をみはりました。

縁起マンダラ展20cm.jpg
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2006年02月18日

お遍路入門(加賀山耕一/ちくま新書)

「四国あるいは遍路という文字のついた本を見かけるや、無条件購入を宗としてきた私も、ここ数年は、ぱらぱらめくっては溜め息が出ることが多くなった。開いて見るまでもなく中身がわかり、開けば既刊本のどれかに似ているからである」と語る著者のこと。時には鋭い言葉も飛び出すが、歩き遍路への情熱は人一倍強いものが感じられる。

著者は23歳夏(1979年)と37歳春の二度、野宿を基本とした通しの歩き遍路に出て結願している。その体験を交えた語りは読みごたえがある。

『お遍路入門』とは題していても、札所のお寺の紹介があるわけではなく、ガイドブック的な実用情報がわかりやすく整理されているような内容でもない。

が、あたりさわりのない孫引き類書によって、遍路に関する固定観念を持たされてしまっている人には、一読、いい刺激になるかもしれない。

味のある線画のイラストも楽しい。序章の始まる前の挿絵では、へんろみち保存協力会の道標をもじって、立て札に「速読2時間 精読5日間 積読(つんどく)3年間」の文字が。

著者には本書以前に『さあ、巡礼だーー転機としての四国八十八カ所ーー』(三五館)という著作もあるが、こちらは448頁の大作だ。

book data:お遍路入門ーー人生ころもがえの旅/加賀山耕一/筑摩書房 ちくま新書/2003年
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2006年02月14日

空海入門(竹内信夫/ちくま新書)

お遍路さんにとっていちばんなじみのある歴史的人物といえば、「お大師さん」こと弘法大師空海だ。遍路に出る人が、必ずしも空海に深い関心を寄せているわけではないけれど、四国を回っているうちに、少しは興味が出てきたりする。

最初は司馬遼太郎の『空海の風景』を手に取ったりするかもしれない。『空海の風景』は、司馬遼太郎が、自分の小説のなかで最も気に入っているもののひとつであるらしく、スケールの大きな人間像が描かれている。

だが、司馬遼太郎の他の小説の多くに登場する人物は、政治的・社会的人間たちだ。彼の空海像も、そういった面に大きくシフトしており、欠落している部分が多くあるように見える。それを補うという意味でも、竹内信夫氏の『空海入門』はオススメだ。

この本では空海の求道的な面がよく描かれている。しっかりとした学術的な基盤を持ちながらも、著者の体験や感動の想いを交えて語られる言葉は、「ですます調」であることも手伝って、やわらかく読みやすい。

また、新書のシリーズの一冊でありながら、あたりさわりのない概説に留まらず、著者の新しい知見も明確に述べられている。一例をあげよう。

空海自身の著作である『聾瞽指帰(ろうこしいき)』は延暦16年(797)、空海24歳の時に書かれたもので、『三教指帰(さんごうしいき)』はその「序」が書き改められたものだ。

著者によれば、『三教指帰』の「序」は、加地伸行氏も指摘するとおり、空海が唐から帰国したあとに書かれたものと考えられる。そして、そこに記されている求聞持法(ぐもんじほう)の修行と成就の記述は、延暦16年から23年の入唐までの間、空海が24歳から31歳までの間の出来事であるとする。

そうだとしたら、空海の「空白の7年間」と呼ばれている時代の活動が、おぼろげながら明らかになってくる。

また、四国遍路のガイドブックなどで24番最御崎寺(ほつみさきじ)や室戸岬について触れられるとき、「空海が19歳のときここで悟りをえた(求聞持法を成就した)」という解説がなされているが、これはちょっとあやしくなってくる。

もともとフランス近代詩や比較文化論を講じていた教授が、個人的共感から始めたという研究なので、変なしがらみのない明解さが感じられる空海論となっている。

book data:空海入門ーー弘仁のモダニスト/竹内信夫/筑摩書房 ちくま新書/1997年
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2006年02月11日

遍路圖會(荒井とみ三/新正堂)

京都の下鴨神社か知恩寺の古本市で見つけたもので、昭和17年発行。当時の定価は1円80銭。

『へんろ功徳記と巡拝習俗』(浅井證善/朱鷺書房)にこの本の引用があり、昭和15年、讃岐風俗研究所発行となっているので、地方の出版物を大阪の出版社が再度刊行したものだろう。前書きは「昭和17年麦秋」となっている。

昭和17年というと、戦争中だ。テレビドラマなどのイメージで、英語など敵国語を使うことは厳しく禁じられていたというイメージがあったのだが、本書の発行されたころはまだそういった規制は及んでいなかったのか。「デパートのショウウインドなどに映つた遍路姿」といった記述が頻繁に出てくる。

四国に生まれ育った著者の文章ものんびりとした調子で、とても戦時中に発行された本とは思えない。

内容は、自筆の挿絵が趣きある「遍路の風俗」、お寺の縁起や伝説が記された「霊場八十八ヶ所めぐり」、遍路の起源や服装などについて書かれた「遍路の研究」の3章からなる。

興味深いのは、当時にしてすでに、「(四国には)平安の頃から遍土と称して既にそれらの霊場を巡拝する風習があつた。(中略)故に遍路の起源は、必ずしも今日言ふ弘法大師の霊場を巡る意ではなかつたらしいのである」という言葉や、「昔は海辺又は峻坂嶮路の土地に霊場が設けられ、それを巡歴することを正当とされていたらしい」という記述が見られることだ。

五来重氏などの研究により、遍路の起源が海洋宗教である「辺路(へじ)修行」に由来することが広く知られるようになったが、1940年くらいにこのような内容が一般向けの本に記されていたとは意外だった。

book data:遍路圖會(遍路図会)/荒井とみ三/新正堂/1942年

遍路図会.jpg
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2006年02月07日

なにも願わない手を合わせる(藤原新也/東京書籍)

藤原新也さんの写真をはじめて見たのは、たぶんなにかの雑誌だったと思う。なかでも人の死体が風景の一部になっているような写真と、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というフレーズが印象に残った。これらの写真はのちに『メメント・モリ』(情報センター出版局)という本にまとめられている。

2003年に刊行された『なにも願わない手を合わせる』という本は、型にはまった巡礼の本というわけではないし、全編が四国を舞台にしたものではないのだが、遍路という行為のある一面の、本質的ななにかが匂いたってくるような本だ。

これまでも肉親が他界するたびに四国巡りをしてきた著者は、兄の死に際してふたたび四国の地を踏む。それは自分自身の心の中に残っている死者への想いを浄化する行為だという。

「私の四国巡りというのは八十八カ所という決められたルートを形に沿って回るというものではない。私はそういう定型化された旅は苦手なのである。それはあくまで四国という風土そのものを巡るものであり、道すがら気が向けば寺を訪れるというような旅である」

そのような旅で見いだされた祈りのかたち。それは、その人自身のものであるという意味で、ホンモノの祈りと言えるかもしれない。

数十ページ読み進むごとに現れる写真ページは、ざらついた本文紙と同じ紙に刷られており、写真の質感にマッチしている。

瀬戸内の島で蝶の死の瞬間に立ち会う話には、生の(死の)不思議を感じざるをえない。群れ飛ぶアゲハ蝶のなかの一頭の老蝶が群から離れ、上空に高く舞いのぼり、命の糸が切れたように羽ばたくのをやめ落ちていった。その先を追って著者が見たものは・・・。一読してたしかめていただくしかない。

※メメント・モリとは死を想えという意味。リンク先のMement moriの項目にある写真は、人によっては衝撃を受けるかもしれないので、心の準備を。

book data:なにも願わない手を合わせる/藤原新也/東京書籍/2003年
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2006年02月04日

心の旅(兼松浩一/自費出版)

留学やボランティア活動など、長く海外で暮らしていた著者が遍路に出たのは、母の死がきっかけだった。

京都の東寺が主催する四国八十八カ所巡礼ツアーに2回も参加し、その体験を手紙に書き送ってくれていた母との突然の別れ。

著者は1997年の春、母が参加を予定していた四国別格二十カ寺のツアーに参加。同じ年の夏には、一人で歩き遍路の旅に出る。そうして1999年には、野宿を中心にした逆打ちの歩き遍路を行なっている。

この本では、1回目の歩き遍路については短くまとめられ、おもに2回目の遍路体験について書かれている。

自費出版ということもあり、日記そのままの体裁や、情熱を直接たたきつけたような文章もあるのだが、かえってそれが臨場感をだしている。

偶然とは思えない不思議な再会や、心あたたまるお接待の話が印象的だ。

改造車に乗った茶髪の若い男が照れながらコンビニ袋をさしだすので受け取ると、なかにはおにぎりとお茶のペットボトルが入っていたり、赤い自転車に乗った小さな女の子が「これ欲しい?」とチューチューのアイスクリームを分けてくれたり・・・。

遍路での体験を現実の社会に生かそうとする姿勢もさわやかだ。

※本書は京都の東寺の食堂(じきどう)で購入。堂内には金剛杖や白衣など遍路用品も売られている。

遍路データ:20代男性/1回目:歩き遍路/通し打ち(順打ち)/1997年8月15日〜(32日間)/2回目:歩き遍路/通し打ち(逆打ち)/1999年3月9日〜4月13日(36日間)

book data:心の旅/兼松浩一/自費出版 
posted by namo at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 遍路本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月01日

田子作

四万十大橋を渡り、川沿いを河口の方へ向かうと、遍路道はやがて四万十川を離れ、内陸部へと入っていく。

川を離れるとすぐに、田子作といううどん店がある。

店内には、ばらずし(ちらし寿司)やおでんが置いてあり、食欲をそそる。

うどんは讃岐風のものではなく、ちょっと変わっている。

何年か前に自転車で立ち寄ったときには、雨が降っていた。レインウエアを着ていたのだが、ウエアを脱いで店の前で水滴をはらっていると、店が濡れるのは気にしないでいいと、やさしく声をかけてくれた。

うどんのつゆは、自家製のチンゲン菜の入った中華風のスープのような感じだったと思う。

雨で冷えた体があたたまる、やさしい味わいだった。

2005年の夏に訪れたときは、暑いので冷やしうどんをたのんだが、やっぱりあたたかいうどんのほうがおいしかった。

木のカウンターがあるので、一人でも入りやすいし、お遍路さんもよく立ち寄るようだ。

雰囲気があって、いい場所にあるお店だ。

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