2006年06月24日

カレーハウス A-7(旧宍喰町)

もうずいぶん昔になるが、23番薬王寺から室戸岬へと向かう途中、海部川を過ぎた那佐湾の海岸沿いにあるA-7(エー・セブン)というカレー屋さんに入ったことがある。

店の前の海は細長い半島にはさまれているので、大きな川の河口のようにも見え、ちょっと変わった風景だ。

オーディオ設備にこっているようで、ビートルズのレット・イット・ビーやザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードのジャズアレンジの歌が高性能のスピーカーから流れていた。

野菜カレーにはキュウリのいためたものが入っていて、ボリュームたっぷりだった。

その後、何度か前を通ったのだが、お店は閉まっていた。たまたま定休日だったのだろうか?

以前はネットで調べても情報がなかったが、今ではYahoo!のカレー特集、「タウン誌オススメ どうしても行きたい 全国カレー店100」にも載っている。

また今度通るときには立ち寄ってみるつもりだ。


※宍喰(ししくい)町は、海南(かいなん)町、海部(かいふ)町と合併し、現在は海陽(かいよう)町になっている。どうもまだなじめない町名だ。
posted by namo at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 喫茶・食事処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

私のお遍路日記(佐藤光代/西日本出版社)

関西で活動しているフリーのテレビディレクターの、歩き遍路体験記。

「お遍路1日め」から「お遍路46日め」まで、お礼参りも含めて1日ごとの出来事がつづられている。

その日に歩いた歩数、距離、泊まった宿、出費などが表にまとめられており、同じくらいの体力で、これから歩き遍路に出ようと考えている人には参考になるかもしれない。

他の遍路体験記に見られないこの本のいちばんの特徴は、楽しいイラストがついていることだ。

1日の行程の簡単な手書き地図に添えられたイラストがあることで、雰囲気がやわらかくなり、とても読みやすくなっている。

「持っていくもの」「初日に買うもの」「参拝の仕方」「基本の服装」「宿に泊まる」「お接待」「山での歩き方」「おへんろって何?」「道しるべ」「おみやげベスト6」といった項目のイラストページも途中にはさまれていて、いいアクセントになっている。

ただ、「山での歩き方」のような、ちょっと?なものもあるが。

著者のお礼参りは、自分のお礼したい寺へ行こうと決めていたということで、37番の岩本寺を訪れている。

遍路データ:30代女性/歩き遍路(通し打ち)/2004年4月1日〜5月13日(88番まで)/43日間

book data:私のお遍路日記ーー歩いて回る四国88カ所/佐藤光代(著者)・浦谷さおり(絵)/西日本出版社/2005年

私のお遍路日記20cm.jpg
posted by namo at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 遍路本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

四国遍路への一遍上人と時宗(時衆)の影響

四国遍路は、真言宗を開いた空海の足跡をたどる道として知られているが、そこには、一遍上人(いっぺんしょうにん)と時宗(じしゅう)の影響もうかがえる。

一遍自身も四国と縁りが深く、有名な『一遍聖絵』には、岩屋寺の行場での修行の様子も描かれている。

『四国遍礼功徳記』の巻頭には、四国遍路でお大師さまに会ったという人に聞いた話が載っているが、そこには次のように記されている。

「くろきぬの衣をめしけると覚へ、征鼓を御頸にかけさせ給ひ、念仏を申とをり玉へり。征鼓は見つれども、御顔ハ見ず、たヾめをとぢおがミ奉る計にてすぎぬとなり」

これは高野聖(こうやひじり)の姿と考えていいだろう。

一遍上人の高野入山以降、高野聖といえば時宗聖をさすほどにまでなったというが、鉦鼓を首にかけて念仏する姿は、まさに時宗聖を思わせる。

遍路の元祖として知られる衛門三郎の伝説では、衛門三郎は一遍上人の出自である河野氏に生まれかわることになっているが、宮崎忍勝氏は『四国遍路』(朱鷺書房)のなかで、次のように述べている。

「私は八十八カ所の成立に活躍した中世の民間宗教者の念仏聖や修験者たちが、頭領の一遍上人を讃える心を秘めた説話、それが遍路の元祖衛門三郎のように思えるのである」

四国遍路における民間の大師信仰普及に大きな役割を果たしたと考えられる聖(ひじり)たちには、空海だけでなく一遍の教えも流れていた。

一部を除いて女人禁制などもなく、ハンセン氏病の方など差別されてきた人たちを受け入れてきた四国遍路の寛容性は、一遍上人と時宗に深く影響されているように思われる。
posted by namo at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | へんろ雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

辺路から遍路へ

古来の「辺路(へじ)」が「へんろ」と読まれるようになり、「遍路」という字に移行し、固定化されていった背景には、もちろん空海の影響が考えられる。

遍路の「遍」は、空海の金剛号(密教ネーム)である遍照金剛の「遍」だからだ。

お遍路さんには「南無大師遍照金剛」というご宝号で親しまれている。

真念に依頼され『霊場記』を書いた学僧・寂本(じゃくほん)は、「へんろ」という言葉に、「ギョウニンベンに扁」の字と、「礼」という字を当てたが、普及しなかった。

「礼」という字は巡礼からとったのだろうが、「ろ」と読ませるには無理がある。「へん」のほうの字も、ちょっとどうかと思う。

やはり、「へんろ」には「遍路」がしっくりくる。

それは遍照金剛の路(みち)、空海の道だ。

そしてそこには、一遍上人(いっぺんしょうにん)の「遍」も隠されている。
posted by namo at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | へんろ雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。