2006年07月22日

空海や行基はなぜ鯖を欲しがるのか

前回、鯖大師の空海と鯖の話のもとは、行基であったことにふれた。

だが、弘法大師にしても行基にしても、なぜ僧がナマグサモノである鯖を所望するのだろうか?

空海や行基にささげられた鯖とは、もともと峠の神にささげられたサバ(生飯)だった。

サバ(生飯)とは、『広辞苑』にも出ているように次のような意味がある。

「食前に飯を少し取り分けて鬼神などに供するもの。屋根などにまいておく。三飯、三把、産飯、祭飯、最把、散飯とも書く。さんば。さんばん」

峠の神、手向け(たむけ)の神にささげられていたサバが、鯖の話に変わっていったというわけだ。

八坂八浜には峠が続く。鯖瀬の大坂峠を越える旅人や地元の人が、峠の神さまに飯粒を何粒かささげたりしていた民間信仰が、行基と鯖の話、そして弘法大師と鯖の話へと変化していったというのが、ひとつの民俗学的解釈だ。
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2006年07月17日

鯖大師と行基庵

23番薬王寺から24番最御崎寺までは80キロ近い長丁場で、歩けば2日以上かかる距離だ。1日歩いてもひとつの札所にさえ行き当たらない。

そのため、道沿いの番外札所に立ち寄る人も多い。

なかでも鯖大師(さばだいし・八坂寺)は大きなお寺で、別格二十霊場にも数えられ、お遍路さんにも親しまれている。

ここには弘法大師と鯖にちなんだ話が伝わっているが、もともとの話の登場人物は、お大師さんではなく行基(ぎょうき)だったという。

そして、現在「鯖大師」と呼ばれている霊場も、「行基庵」「鯖瀬庵」という小堂だったようだ。

このあたりは「八坂八浜(やさかやはま)」と呼ばれ、海辺の坂道をひとつ越えるたびに美しい浜が現れる。現在の車道を通っていたのではなかなか実感できないが、昔はそれが八つ(あるいはそれ以上)も続く景勝地だった。

鯖の話はこの八坂八浜の大坂を舞台にしたものだ。

馬の背に鯖を積んだ馬追に、行基(ぎょうき)が鯖を1匹くれとたのんだ。馬追が断ると行基は次のような歌を詠んだ。

  大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基にくれで馬の腹や(病)む

すると馬が苦しんで歩けなくなった。驚いた馬追が鯖を差し出すと行基は別の歌を詠んだ。

  大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基にくれて馬の腹や(止)む

そうすると馬の苦しみはおさまったという。

歌の違いは「で」と「て」だけというのがおもしろい。

この話は、四国遍路最古のガイドブックである『四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)』(1687年刊)に出ている。

寛永18年(1638)の8月から11月にかけての四国巡拝を記録した『空性法親王四国霊場御巡行記』にも、「八阪(坂)坂中鯖一箇、行基に呉れで駒ぞ腹痛と、詠ぜし茲は所なり」とあり、同じ話が『四国遍路道指南』の約50年前に既に存在していたことがわかる。

寛政12年(1800)3月から5月にかけての遍路の記録と写生をもとにした札所の詳細図からなる『四国遍礼名所図絵』にも、行基を登場人物とする同じ話が出ており、鯖瀬には行基菩薩を本尊とする「鯖瀬庵」があると記載されている。

喜代吉榮徳氏が紹介されている明治19年(1886)出版の『四国霊験記図絵』(繁田空山著)にも、「八坂八浜 行基菩薩古跡」と記された絵図に行基庵が出ている。

行基と鯖の話は長く伝えられたもののようだが、行基が弘法大師に変わり、行基庵が鯖大師に変わったのは、それほど昔のことではないようだ。
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