2006年03月27日

遍路の起源

四国遍路の起源は、衛門三郎伝説などの「おはなし」を別にするなら、空海以前から存在した古代信仰にさかのぼると考えられる。

空海自身も、その古い修行形態のなかに身を投じたということになる。

それは「辺路(へじ)」(辺地)と呼ばれる修行で、空海以降、大師信仰を中心として、やがて「遍路」として再編されてゆくことになる。

現在の四国遍路とのかかわりで、空海が実際に訪れているのが確実なのは、阿波大滝嶽、室戸崎、石鎚山あたりだろうか。

ゆかりの札所で言えば、阿波大滝嶽が21番太龍寺、室戸崎が24番最御崎寺・26番金剛頂寺、石鎚山が60番横峰寺・64番前神寺といったところ。

これは空海の著作である『三教指帰』に次のように記されているので明らかだ。

 阿国大滝嶽に躋り攀ぢ
 土州室戸崎に勤念す
 谷響きを惜しまず
 明星来影す
  (『三教指帰』序)

 或るときは石峰に跨がって
 粮を絶って轗軻たり
  (『三教指帰』巻下)

生誕地の善通寺周辺(71番〜75番あたり)もそれに加えていいだろう。

とはいっても、そこにお寺があったわけではないから、現在の札所の位置を空海が訪れたということではないのだが。

それ以外にも、空海が足跡を記した地として、他の文献などから間接的に推しはかれる場所も意外に多い。

五来重(ごらいしげる)氏は、空海が通った初期の辺路ルートとして、12番焼山寺から20番奥の院慈眼寺、20番鶴林寺、21番太龍寺を経て日和佐へ出て、室戸へと向かう道筋を推定しておられる。

足摺岬や、石鎚山への途上となる岩屋寺あたりも、辺路修行の地として、空海の訪れた可能性は高いようだ。

現在の四国八十八カ所のルートとはズレがあるにしても、空海以前から続くと思われる辺路修行の地が今もかたちを変えて息づいているとしたら、遍路の歴史の深淵は、人びとが思っている以上に深いのかもしれない。
posted by namo at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | へんろ雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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