2006年07月22日

空海や行基はなぜ鯖を欲しがるのか

前回、鯖大師の空海と鯖の話のもとは、行基であったことにふれた。

だが、弘法大師にしても行基にしても、なぜ僧がナマグサモノである鯖を所望するのだろうか?

空海や行基にささげられた鯖とは、もともと峠の神にささげられたサバ(生飯)だった。

サバ(生飯)とは、『広辞苑』にも出ているように次のような意味がある。

「食前に飯を少し取り分けて鬼神などに供するもの。屋根などにまいておく。三飯、三把、産飯、祭飯、最把、散飯とも書く。さんば。さんばん」

峠の神、手向け(たむけ)の神にささげられていたサバが、鯖の話に変わっていったというわけだ。

八坂八浜には峠が続く。鯖瀬の大坂峠を越える旅人や地元の人が、峠の神さまに飯粒を何粒かささげたりしていた民間信仰が、行基と鯖の話、そして弘法大師と鯖の話へと変化していったというのが、ひとつの民俗学的解釈だ。
posted by namo at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | へんろ雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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