2006年10月26日

四国遍路の民衆史(山本和加子/新人物往来社)

この本は、真念や寂本による江戸時代の四国遍路ガイドブック制作についても詳細に書かれており、よくまとめられているが、いちばん印象に残っているのは「接待講」についての記述だ。

接待講は経済的な余裕のある人たちが行なっていたのだと思っていたが、その多くは貧しい村々で組織されていたようだ。

和歌山県の高野山麓の村々は、領主である高野山に対して何度も一揆を起こすほど、年貢の増税に苦しめられていた。有名な「紀州接待講」はそのような状況のなかで始められ、毎年欠かさず四国でのお接待が行なわれていたという。

著者の言葉はなかなか痛烈だ。

「(高野山領の農民たちは)絢爛豪華な金堂で錦織の法衣をまとった高僧のなかに、弘法大師の存在を認めていなかった。(中略)それよりも彼ら領民たちは、潮たれて山風に打たれて歩きつづける遍路の姿に、弘法大師を見、接待するわが心の中に、弘法大師の心を感じとっていたのである」

実際、現代の四国遍路のお接待に接するとき、それが誰かに教えこまれた信仰から出たものというより、個人のやさしい思いから生まれる自発的な行為として感じられることが多い。

お接待は、いわゆる「チャリティー」のようなものとは、異質なものなのだ。

ところで、本書のなかでハンセン病に関してふれられている部分は、古い知識に基づいたもので、問題がある。本書の発行は奥付を見ると1995年の12月。翌年の1996年4月には「らい予防法」が廃止されており、それ以前にハンセン病の隔離政策の問題点はよく報道されていたはずだ。発売されてすぐに読んだのだが、当時疑問を感じたのを憶えている。

book data:四国遍路の民衆史/山本和加子/新人物往来社/1995年
posted by namo at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 遍路本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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