2006年03月13日

柏坂(かしわざか)

40番観自在寺から10キロくらい行くと、遍路道は内海村(現在は愛南町)で2つのコースに分かれる。

そのまま国道56号の車道を進むコースと、歩き遍路だけが通ることのできる柏坂越えコースだ。

以前自転車でまわったときは国道を通ったので、歩き遍路のときには迷わず柏坂越えを選んだ。

とは言っても、このあたりの車道は交通量も少ないし、景色もよく、それほど歩きにくいコースではない。

内海トンネルの横には、歩行者と自転車専用の「内海ふれあいトンネル」もあって、安心して歩ける。

歩き遍路のときには、内海村の旭屋に泊まったので、朝一番に柏坂越えにとりかかった。

宿を出ると、近所のおじいさんがぼくの姿を見て、手書きの柏坂の地図のコピーをくれ、道を教えてくれた。

この地図とおじいさんの説明がなければ、登り口でちょっと迷ったかもしれない。

民家の横のほうから山道への登りがはじまり、柳水大師、清水大師など、お大師さんゆかりの地を過ぎ、つわな奥展望台からは、由良半島の絶景が望める。

このコースは、柳水大師の上の林道を横切って少し行ったあたりが一番高くて、標高470メートルくらい。あとはだいたい下り道になる。登りはじめはちょっときついが、比較的歩きやすい道だ。

37番へ向かう途中にある焼坂遍路道や大坂遍路道のように、雨のときは別コースを歩くことを勧めたくなるような急坂ではない。

ただ、町に出るまではけっこう距離があり、10キロくらいはお店もないので、その点だけ注意していればいいだろう。

柏坂越えの道は、地元の方たちがよく整備してくださっているようで、「トレッキング・ザ・空海」という遍路道ウォークのイベントなども行なわれている。

内海中学校の生徒さんたちが作ってくれている地図もあるので、参考にしてみては。地図はちょっと重いPDFファイルになっている。

愛南町 柏坂旧へんろ道のページ
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2005年12月28日

四国で出会う鳥たち

四国を旅するあいだ、大麻比古神社の境内を歩いているニワトリをはじめ、多くの鳥たちに出会った。

10番切幡寺近くの道の右側に小さな池がある。水面は水草にびっしりとおおわれていたのだが、その緑の上を、「真っ黒クロスケ」のような黒い毛のかたまりが動いている。

よく見ると、黒いヒヨコのような形だ。近づいてみたら、ほかにも3羽ヒナがいた。親鳥も1羽いて、黒い羽にくちばしのあたりが赤い。

バンだ。

親鳥は池の向こうの繁みのなかに身を隠した。4羽のヒナもやがてそれに従った。

     *     *     *

11番藤井寺への道、吉野川手前あたりには広々とした農地が広がっている。

刈り入れの終わった田んぼか畑の上を赤い耕運機がゆっくりと走りながら、土を掘り起こしていた。

そのうしろには何羽ものアマサギが群がっている。掘り起こされた土の中にいる虫かなにかを食べているのだ。

耕運機の赤に、アマサギの少し亜麻色の入った白い姿がきれいに映えていた。

     *     *     *

23番薬王寺から内陸へと入った日和佐川ではカワガラスを見た。

カワガラスは水底を歩くことができるかわった鳥だ。

こちらに気がつくと川の上を滑空して逃げ、距離をおいて着水した。

     *     *     *

11月ころに高知を旅したときは、たくさんの鳥たちを見た。

31番竹林寺の参道では、上空をイカルが鳴きながら飛んでいった。

32番禅師峰寺から浦戸大橋へと向かう道沿いには、ジョウビタキがいっぱいいた。渡ってきたばかりなのか、民家の塀の上にとまって縄張り争いをしていた。

海沿いではイソヒヨドリも多かった。青い羽に、おなかの濁ったオレンジ色が目立っていた。鳴き声もきれいだ。

宿毛のあたりでは上空を雁行する鵜を見た。飛んでいる姿が白鳥に似ていて黒いので、よく見ると鵜だった。

     *     *     *

61番香園寺手前の中山川の橋のたもとには、コサギなどたくさんのサギがコロニーを作っていた。

     *     *     *

遍路の途中でも、ちょっと目を向ければいろんな鳥たちの姿が見られるものだ。


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2005年12月27日

札所のネコ

お寺の境内や遍路道で出会うネコたちーー。

日の当たる賽銭箱の上で器用に寝ていたりして、のんびりくつろいでいる姿を見ることが多いが、なかにはこんなネコも。

白峰神社を通りぬけて79番高照院の境内に入ると、1匹のネコが走り寄ってきた。

椅子に荷物を置いてジュースを飲んでいると、ネコがまとわりついてくる。

椅子の上に上がり、荷物の上にまで上がってすり寄ってくるので、下に降ろそうとするのだが、全然ひるむことなく何か言いながら体当たりしてくる。

ネコにしては珍しいタイプだ。

ふつうのノラネコとちょっとちがい、少し色の混じったような白い毛の、シャムかなにか外国のネコとの雑種のような子ネコだった。

78番郷照寺門前の名物「地蔵餅」を2つ買っていたので、そのにおいに反応しているのかと思って半分やったら、食べるには食べたがあまりガツガツした感じはない。

それほどおなかがすいているわけでもなさそうなので、残りは自分で食べた。

そのうちネコも落ちついたので次の札所に向かったのだが、あのネコはなにを言いたかったのだろうか。
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2005年12月26日

お遍路案内犬(お遍路犬)

歩き遍路の体験記を読むと、よく犬の話が出てくる。遍路道を歩いていると、犬が道案内をしてくれるのだ。

21番太龍寺を過ぎた阿瀬比のあたりから22番平等寺へ一緒に歩いてくれる犬は、ホームページなどでもよく紹介されており、写真にも撮られている。

たとえばこちらこちら

ほかにも、いろんなところで、多くの人が犬に案内してもらっているようだ。

この夏の歩き遍路で、足摺岬から久百々(くもも)へともどってくるときのこと。

このあたりには、へん保協の遍路地図にも掲載されていない短い歩き専用の遍路道がいくつもあり、車道から外れてはまた車道へとつながっているのだが、そんな遍路道を歩いているとき、後ろからなにか水気のあるものが手に触れた。

ふり向くと、犬がついてきて手をなめていた。大きさは柴犬の成犬より大きいくらいなのだが、足が太く、顔を見るとまだ子犬だ。

そこから一緒に歩いてくれて、車道まで出て、宿泊する予定の民宿が見えてくると、子犬はもと来た道を引き返していった。

りっぱな案内犬に育ってくれよと思いながら見送った。

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2005年12月16日

お接待の重み

歩き遍路の体験者なら、だれもが心あたためられ、力が湧いてくるような思いをするお接待。

それはなにかモノをもらったりすることではない。

食べ物や飲み物をもらったり、通り過ぎた車が急にUターンしてきてお金をいただいたりということはもちろんあるのだが、そのとき受け取るのは、ありきたりの言葉かもしれないが、モノではなくそのココロだ。

子どもたちの元気なあいさつはやっぱりうれしい。幼稚園児や小学生はにぎやかにあいさつしてくれるが、ちょっと斜にかまえるような年頃の中学生や高校生も、都心部を除くとけっこうあいさつをしてくれる。

バス停とかで待っているキレイなおねえさんが、「こんにちは〜、がんばってください」とか急に声をかけてくれたりするので、不意をつかれたりすることも。

内海村から柏坂を越え、芳原川沿いを津島大橋へと向かっているとき、川沿いの雰囲気のいい遍路道を歩いていると、前から自転車に乗ったおばさんがやってきた。

おばさんはぼくの姿に気がつくと、自転車を止めて話しかけてきて、買い物袋からパイナップルの缶詰を出してお接待してくれた。

バスツアーで何度が札所をまわっている人で、歩きのお遍路さんを見かけたらお接待することにしていると話していた。

それで買い物したときに買った缶詰をお接待してくれたのだが、その缶詰はパイナップルまるまる1個分入っているような大きなものだった。

そうとう重い・・・。

でも、全然苦にもならず、ありがたくいただいて、ザックに詰めた。

宿に着いて冷蔵庫に入れてもらい、夕食が終わってから出してもらって、缶切りを借りてひとりで食べた。そうとうな量があったが、分けてあげようと思っていた同宿のお遍路さんがお腹をこわしていて、結局ひとりでたいらげた。

歩き遍路に出会って、缶詰が重いとか、缶切りを持っているかどうかなんか頭から飛んでしまって、とにかく何かをあげたいという思いが先に立ったおばさんのココロがうれしかった。

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2005年12月13日

個性豊かな歩き遍路との出会い

夏のある日、日和佐から室戸へと歩いているとき、向こうから白装束のお遍路さんがやってきた。逆打ちの歩き遍路だ。

30代か40代くらいの男の人で、3回目の遍路だそうだ。今回は1番から88番まですでにまわり終え、そのまま逆打ちで88番からここまでやってきたという。1番までもどったら高野山に行って修行し、お坊さんになると話していた。

いろんな話をしてくれたが、どうも札所のお寺の人にたいしてそうとう頭にきているようだった。

遍路には十善戒というのがある(別に遍路に特別な戒というわけではなく、仏教の戒なのだろうが、遍路中だけでも守るよう努力しましょうということになっている)。それは次のようなものだ。

 不殺生  殺さない
 不偸盗  盗みをしない
 不邪淫  邪淫しない
 不妄語  うそをつかない
 不綺語  お世辞をいわない
 不悪口  悪口をいわない
 不両舌  二枚舌を使わない
 不慳貪  欲張らない
 不瞋恚  怒らない
 不邪見  誤った考えを起こさない

これを心がけているお遍路さんも多いらしく、体験記などにも、「憤りを感じたが十善戒のことを思い出してじっと耐えた」などといった意味のことが書いてある。「これは悪口ではなく事実を述べているだけ」とかいう言い訳もあったり。

こうした記述は、特に納経所で接するお寺の人の態度に関するものが多い。

このとき出会った歩き遍路の人は、十善戒などものともしない勢いで話が噴出し、エネルギッシュでおもしろかった。

彼はお寺の人に対して何度も憤りを感じたことがあるようで、前日も大きな宿泊施設を持つ近くの番外札所の宿坊に電話したところ、時間が遅いということで断られたという。

歩き遍路にとっては寝る場所があるだけで助かる状況なのに、あまりに冷たく事務的な答えだったそうだ。

結局、近くの禅寺に電話をしてみると、快く泊めてもらえたそうだ。その禅寺は城満寺というお寺で、四国最古の曹洞宗のお寺を、住職が全国を托鉢して復興したものだという。

たまたまこの3日前、徳島市内のビジネスホテルに宿泊したとき、夕食に入った食堂で見かけた「徳島新聞」だったかに、そのお坊さんのことが載っていたので、ぼくも覚えていた。取材した記者が熱を入れて記事を書いているようだった。

歩き遍路の彼も、托鉢や野宿もしてまわっており、坐禅も組んでいるので、そのお坊さんには共感しているようだった。

彼自身、理想に燃えてこれから僧侶になろうとしているだけあって、お寺の人にたいして思うことが多いのだろう。

「札所の住職たちを集めて、シベリアにでも収容して鍛え直したほうがいい」という彼の言葉を聞きながら、ぼくは某マンガの「アラスカ行き!」を思い出してしまった。

ほかにも、お寺で野宿していたとき賽銭どろぼうを見つけた話とか、アメリカ人やオーストラリア人の遍路に会って、テントに泊めてもらった話など、いろいろおもしろい話をしてくれたが、夏の太陽はまだ暑く、先へ進むようにうながしている。

話を切り上げ、やがてそれぞれの方向へと別れていった。
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2005年12月04日

遍路ころがし 国道とトンネル

歩き遍路にとって、昔からの遍路ころがしは難所にちがいない。しかしそれ以上に、交通量の多い国道やトンネル(特に歩道のない長いトンネル)がつらいという声も多い。

室戸岬への道を、単調な景色でつらいという話も聞く。右は断崖、左は海で、ほとんど集落や店などないところが続くからなのだろう。しかし交通量は極端に少ないので、車道という感じはなく、歩く道としてはそんなに悪くはない。

個人的には、トンネルはもちろんそうだが、歩きのときにイヤだったのは18番恩山寺手前の国道55号、自転車のときイヤだったのは37番岩本寺へと向かう国道56号の久礼坂あたりだ。

国道55号のほうは、自転車だと早くパスできてそれほど大変ではないし、56号のほうは、歩きだとほかのルートもとれてたいしたことはないのだが。
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遍路ころがし 鶴林寺・太龍寺

鶴林寺と太龍寺は、それぞれの寺への道はそれほどでもない。だがこの2寺を合わせると、登って下ってまた登るということになり、かなりきびしい。

前日泊まった徳島市内の佐古駅近くのビジネスホテルから、18番、19番と打って、20番の登り口の民宿に泊まろうと思っていたのだが、朝早く歩きはじめたので、1時ごろには20番の麓まで来てしまった。そこで予定を変更して、鶴林寺と太龍寺も打つことにした。

鶴林寺に着いたのが2時ごろ、山上の電話ボックスから坂口屋に宿泊予約を入れると、今どこにいるかたずねられた。鶴林寺から太龍寺を打ってそちらに向かうと答えると、けっこう時間がかかるよと言われたので、大井の集落まで走って下りた。

那賀川という大きな川の橋を渡り、太龍寺ヘの道を上りはじめる。ここまでかなりの距離を歩いたあとなのでバテている。4時前にお寺に着き、ゆっくり下って坂口屋に着いたのは5時ごろだった。

難所のお寺2つをまわったし、その日は歩いた距離が長かったため、そうとうきつかった。

坂口屋には学生のころにも泊まったことがあり、親切にしてもらった記憶がある。昔からの遍路宿だ(といってもかなり大きい)。洗濯機や乾燥機も置いてあり(無料だった)、気泡風呂もあって、宿泊代も安く、歩き遍路にはうれしい宿だ。
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遍路ころがし 焼山寺

昔から「遍路ころがし」(難所のこと)と呼ばれているところは、高いところにある札所への登り坂だ。

阿波では12番焼山寺、20番鶴林寺、21番太龍寺への道、土佐では27番神峰寺への「真っ縦」と呼ばれる急坂、伊予では60番横峰寺への登り、讃岐では66番雲辺寺への急勾配。

なかでも焼山寺への山道はきつい。というのも、せっかく登ってかせいだ高度を、いったん下ってまた登り直さなければならないからだ。それに、歩きはじめで荷物が重かったりする(このあと不要なものを家へ送り返す人も多い)。

登りはじめはけっこう急だ。1時間くらいで長戸庵に着いて休憩したが、庵にはヒゲ面の男の人(クマさん)が住んでいて本を読んでいた(現在は無人)。

長戸庵からも登りは続くが、やがて少し下って柳水庵に着く。これも1時間くらい。ここではジュースとかも売っていて、おばあさんが水筒にお茶を入れてくれた(現在は無人)。

一本杉庵まではまた登り。大師像が大きな杉をバックに現れる。

このあとずっと下りが続き、左右内(そうち)の集落まで下りる。そこからの最後の登りがいちばんキツイ。

11番から4時間くらいかかって焼山寺に着いた。売店でうどんを食べ、この地方の名物の梅ドリンクを飲んで一息ついた。

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2005年11月27日

ふたたび四国へ

学生のときはじめて四国を自転車でまわってから、いつかもう一度行ってみたいと思っていた。時々テレビなどで遍路の特集など見ると、妙になつかしい。
 
たまたま書店で見かけた歩き遍路の体験記を読んだりしているうちに、四国を歩いてみたいという気持ちが高まっていった。

そうしてある年の夏、お盆休みに1番から10番まで、そして10番からは直接88番へ、ためしに歩いてみることにした。

初日は電車での移動についやし、板東駅近くの元木屋という宿に宿泊を決めた。夕方散歩がてら、1番札所霊山寺の周辺をぶらついてみた。

霊山寺の横を少し北に行くと、大きな鳥居が見える。その下を通ってさらに参道を進み、赤い橋を渡ると大麻比古神社に着いた。広々とした明るい神社で、境内の土の上をニワトリが3羽歩いていた。若冲の絵に出てくるような、金色と濃い緑の羽をもつニワトリで、神社の風景にとけこんでいる。

遍路シーズンに多くの人々でにぎわっている霊山寺もいいが、大麻山の麓に静かにたたずむこの神社には明るく清らかな空気がただよっていた。後で知ったのだが、ここは昔、霊山寺の奥の院だったそうだ。

翌日、1番札所から歩きはじめ、10番の切幡寺まで遍路道をたどったのだが、道沿いの神社などものぞいてみることにした。村の鎮守といった感じの小さな神社が多かった。

3番札所の金泉寺から4番の大日寺に向かう途中、右手に石段が見え、登っていくと諏訪神社があった。石段の途中には、ここにもなぜかニワトリが1羽、わがもの顔で歩いていた。

9番法輪寺の横にあるうどんやで昼食。梅干しを袋にいっぱいお接待していただいたのだが、歩きながら全部食べてしまった。

朝8時に出発し、午後3時ごろやっと10番札所に到着。山門から300段以上もある石段を登ってやっと本堂へ。本堂からさらに登ると不動堂、またさらに登ると大塔がある。

この塔は、徳川2代将軍秀忠が大阪の住吉神社に寄進したもので、神仏分離の政策のなか明治6年に移築されたものだという。木刀や小刀、棒、鎌などがついた奉納額が掛かっており、「相心流」という文字が読める。大阪にあった(あるいは四国の)古武術の流派なのだろう。ここからの眺めは素晴らしく、緑のなかに点在する家々や、遠くかすむ山並みまで見渡せた。

石段を下り、門前の民宿坂本屋に宿泊。真夏の日中に歩いたので、乾いた汗の塩分が白い粉をふいたように腕や足をおおっていた。

次の日には、朝8時に宿を出て昼1時ごろ88番到着。門前の食堂で、打込うどん、こんにゃくのさしみ、冷やっこ(石どうふ)を食べた。前に来たときは、たしか「遠国そば」というのを食べたと思うのだが、このときはメニューに見あたらなかった。

真夏の太陽の下、土の道はまだいいが、アスファルトの道路を歩くのはけっこうたいへんだった。

これをきっかけに、それ以後何度か、歩きや自転車で遍路に出かけるようになった。
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2005年11月23日

不思議な出会い

あれはたしか、室戸岬へと向かう道でのことだった。

海沿いの道路はゆるやかなアップダウンをくりかえし、彼方にかすむ岬へと続いていた。友だちとの距離が少しあいてしまったので、ぼくは道がカーブにさしかかったところに自転車を止めてしばらく待っていた。

道の左側にはずっと海が続いているのだが、そこにはヨシタケかなにか背の高い植物が生えていて、海は少し隠れていた。右側はすぐに崖が迫っているような場所ではなく、木の生えたちょっとしたスペースがあったように思う。

前方から、チリーン、チリーンという鈴の音が聞こえ、白装束に菅笠をかぶったお遍路さんが近づいて来た。20代くらいの美しい女性で、同じように白装束を身につけた小さな男の子もいっしょだ。

女性は腰に飯ごうをぶら下げており、幼稚園児くらいの子どもは、白い紐の先に木切れかなにかを結んだものをおもちゃにして引っぱりながらゆっくりと歩いている。通り過ぎるとき、軽く会釈をかわした。それは明るい笑顔だった。

夏の暑い日差しのもとで涼しい風にふかれたような、なにか聖なるものに出会ったかのような、そんな感じがして胸があつくなった。

やがて友だちも追いついてきて、2人で先へと向かった。

不思議なのは、旅を終えて、いろんなことを思い出しながら友だちと話しているとき、ぼくがこのときのことを一番印象に残ったことのひとつとして話すと、友だちもそのときのことをよく憶えていて、彼にとってもそれが一番心を動かされたシーンのひとつだったということだ。

そのうえ、そのときに2人が感じたことはちがっていた。

当時は、今よりも歩き遍路の人ははるかに少なく、あまり出会うことはなかった。それも逆打ち(札所を逆回りにまわることで、順打ちの何倍も困難とされる)である。飯ごう持参なのだから、お米をもらったり、野宿をしたりすることもあるのかもしれない。そして、若い女性で小さな子ども連れ・・・。

誰でも思いいたるように、彼女は旦那さんを亡くして、その悲しみから逃れるように遍路に出たのだろう。しかしその雰囲気は、涼やかで明るかった。

「悲しみが花開いている」・・・そんな言葉が浮かんできて、ぼくは静かな感動をおぼえた。

一方友人も、彼女の境遇については同じようなことを想像したのだが、彼はそのとき、胸がしめつけられるように悲しい気分になったそうだ。
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2005年11月22日

世界が美しく見える

はじめての自転車遍路(1番から30番までの区切り打ち)で印象に残っているお寺といえば、12番札所の焼山寺だ。

焼山寺は遍路ころがしと呼ばれる難所で、標高800メートルくらいの高所にある。自転車なので梨ノ木峠を通っていったのだと思うが、登り坂がそうとう続く。

お昼の1時から2時くらいには着いたが、その日は宿坊に予約していたので、境内から下界を眺めながらゆっくりと休んでいた。

夏の夕暮れがせまり、樹齢数百年の杉の巨木の並ぶ境内には、鳥の声やセミの声がこだましていた。

今でも人里離れた山奥だが、当時は比較にならないくらい自然のにおいが濃くただよっている場所だった。

ここでは、身体的な感受性が高まっていたせいなのか、どういうわけか快感につつまれ、音やにおいや風景の美しさが胸にせまってきた。

息をしているだけで気持ちがよかった。

宿坊に泊まって、翌朝になってもその感覚はまだ続いているようだった。

朝の光に照らされた境内はまだ涼しく、世界は明るい美しさに満ちていた。
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遍路で体が変わる

昔から、遍路で病気がなおったというようなおかげ話が伝わっているが、一日中歩いたり自転車をこいだりといった運動をある程度長い期間続けると、肉体的な変化が起きるのは確かなことだろう。

ただ、その変化が必ずしもよい方向にいくとはかぎらない。無理をすれば体を傷つけることにもなりかねないのだが。

ぼく自身の体験では、大学生のときの自転車遍路では、2回とも体に劇的な変化があった。

誰でも多少は骨盤や背骨などに偏りがあるし、ケガなどで不調な部分があると思う。ぼくもスポーツのケガで関節に違和感を感じているところがあったのだが、自転車をこいで何日かすると、関節のズレがぴたっとはまるように、自然に正常な位置にもどってしまった。(旅が終わって日がたつうちに、いつのまにかまた元にもどってしまうようだったが)。

また、ランニングハイならぬサイクリングハイなのか、全然疲れず、こげばこぐほど元気が出てくるようなときもあった。柔軟体操もしないのに、体の柔軟性もアップしていた。

2回ともそんな感じだったので、そのころは遍路をすると健康になるもんなんだと、単純にあたりまえのことのように考えていた。

だが、その後の歩き遍路や自転車遍路で、そこまで劇的な体の変化を感じることはなかった。年齢や季節、体の周期など、いろんな要素がたまたまうまくハマっていたのかもしれない。

とはいえ、体の声をききながら、ちょっとだけ無理して四国をまわることは、運動不足がちなふだんの生活にとってはいい刺激になる。

それに遍路の魅力は、物理的・肉体的変化以上に、 一日一日の充実感や、感動的な出会いにあるのだから。
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はじめての四国遍路

大学2回生の夏休み、ぼくは友だちと一緒に自転車で四国をまわることにした。

当時、自転車好きの学生は、夏休みにユースホステルなどを利用して、北海道一周や九州一周などにチャレンジする人が多かった。ぼくは大学が岡山だったこともあり、今はなき宇高連絡船ですぐに渡れる四国を目的地に決めた。

高校の同級生で同じ岡山に来ていた友だちを誘って、サイクリング用のドロップハンドルの自転車を買うように勧めた。そのころはMTB(マウンテンバイク)などなかったから、今はもうあまり見かけなくなったランドナーというタイプのツーリング向きの自転車を選んだ。

四国一周もいいが、それだけだと、ただ道をどんどん通り過ぎていくだけのような気もする。サイクリングのガイドブックには、四国八十八カ所コースというのも載っていた。そっちの方がおもしろそうだ。

というわけで、大学2回生の夏に1番から30番まで、3回生の夏に31番から88番までまわったのだが、それはとても心に残る旅だった。

メモなどとらなかったので、残っている記録といえば、ガイドブックに書き込んだ日程や宿泊先ぐらいのものなのだが、今でも数々の出来事や情景を思い出すことができる。
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