2006年02月01日

田子作

四万十大橋を渡り、川沿いを河口の方へ向かうと、遍路道はやがて四万十川を離れ、内陸部へと入っていく。

川を離れるとすぐに、田子作といううどん店がある。

店内には、ばらずし(ちらし寿司)やおでんが置いてあり、食欲をそそる。

うどんは讃岐風のものではなく、ちょっと変わっている。

何年か前に自転車で立ち寄ったときには、雨が降っていた。レインウエアを着ていたのだが、ウエアを脱いで店の前で水滴をはらっていると、店が濡れるのは気にしないでいいと、やさしく声をかけてくれた。

うどんのつゆは、自家製のチンゲン菜の入った中華風のスープのような感じだったと思う。

雨で冷えた体があたたまる、やさしい味わいだった。

2005年の夏に訪れたときは、暑いので冷やしうどんをたのんだが、やっぱりあたたかいうどんのほうがおいしかった。

木のカウンターがあるので、一人でも入りやすいし、お遍路さんもよく立ち寄るようだ。

雰囲気があって、いい場所にあるお店だ。

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2006年01月30日

おへんろ出会い旅(おかざききょうこ/コアラブックス)

札所の近くには四国の名所も多いし、スタンプラリーのような興味本位で旅に出たという著者は、2カ月で四国を歩いてまわることにし、綿密な計画を立てる。

だが出発前夜、荷物を背負ってみて「無理だ!」と実感し、公共の乗り物も利用することにする。

飛行機の機内では週刊ビッグコミックスピリッツを読みながら四国へ向かい、山のなかの遍路道はこわがるといった、典型的なマンガ世代?都会育ち?の女性。

札所をまわる順番はバラバラだったり、余分な荷物を宿に置いてまわったりするのでもとの場所に引き返さなければならなかったりと、けっこうたいへんそうだが、いろんな人と出会ったり、お接待の車に乗せてもらったりして、それでもなんとか無事に結願する。

82番根香寺の牛鬼の像を、「高橋留美子のマンガに出てくるキャラクターみたい」というのには思わず納得。

遍路データ:30代女性/乗り物も利用する歩き遍路(通し打ち)/1996年9月23日〜10月18日(26日間)

book data:おへんろ出会い旅ーー四国路1,400キロ/おかざききょうこ/コアラブックス/1997年
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2006年01月29日

情け嬉しやお遍路ワールド(佐藤孝子/近代文芸社)

社会に過剰適応気味の男性とはちがって、しっかりと自分の感受性を大切にしている著者は、自分がすり減ってゆくような感覚に耐えかね、先の見えないまま小学校の教師を辞めて歩き遍路の旅に出た。

19番立江寺の「肉付き鉦の緒」の縁起話など、女性の視点から紹介していておもしろい。同じ縁起話を何も考えずに説教に使い続けるような、頭の硬い坊さんに読ませてやりたいものだ(まあそういう人は、読んでも変わらないだろうけど)。空海や仏教に対する理解もある。

同じ著者による、2回目の区切り打ちの遍路体験をベースにした『お遍路に咲く花通る風』(リヨン社/1997年)のほうは、記録的な色合いが薄くエッセイ集のような感じ。旅の参考にしたいのなら、1番札所から順番に進行してゆく本書のほうがヒントになるが、読みものとしてならこちらのほうが読みやすいかもしれない。

遍路データ:40代女性/歩き遍路(通し打ち)/1995年4月12日〜5月23日(42日間)

book data:情け嬉しやお遍路ワールドーー歩いて歩いて四国の風になった/佐藤孝子/近代文芸社/1996年
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2006年01月28日

定年からは同行二人(小林淳宏/PHP研究所)

「平均的日本人であり、仏教知識がそんなにあるわけではないし、信仰心が厚いわけでもない」と語る著者は、完全徒歩、遍路中の禁酒、禁煙を目標に1番札所から歩きはじめる。

歩き遍路という冒険に現実的に対応し取り組んでゆくビジネスマンといったおもむきだが、ジャーナリスト出身なのでちょっと軽めで調子がいい。

それでも旅の終わりは感動的だった。

定年後囲碁に熱中し、その記録を『定年からが面白い』という本にして出していた著者のこと、最初から遍路体験記を書こうと計画し、毎日記録をつけていたのだろう。その記述はえらく克明だ。

へんろみち保存協力会の『四国遍路ひとり歩き同行二人』が出版される以前の旅なので、今の歩き遍路以上に宿などにも苦労している。

この本が出版されてから、定年前後の男性のお遍路さんが増えたそうだ。実際によく見かけるようになった。

遍路データ:60代男性/歩き遍路(通し打ち)/1988年7月11日〜8月20日(40日間)

book data:定年からは同行二人ーー四国歩き遍路に何を見た/小林淳宏/PHP研究所/1990年
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遍路本

別のブログで取り上げていた遍路本の紹介文をこちらに再録します。

今では遍路に関する情報も、ホームページやブログから容易に得られるようになり、ガイドブックも目白押しですが、10年くらい前には遍路体験記も貴重な情報源でした。

そんな事情もあってか、ひと昔前の遍路体験記は今読んでもおもしろく、味のあるものが多いようです。

そんな時代の3冊の体験記を紹介します。古本屋などで探してみてください。まずは1冊目。
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2006年01月26日

道後の町屋 美よし

道後温泉本館近くの商店街に、鰻の寝床のような町屋カフェがある。

入口のあたりにはパン工房、奥のほうには座敷もあって、中庭を見ながらゆっくりくつろげる。

ぼくが入ったときは、お客さんも少なく、奥の座敷には誰もいなかった。

コーヒーを飲みながら、夕食の時間までほっこりした。

道後商店街といえば、規模はちがうが京都で言えば新京極通みたいなもの。だがこんな落ち着いた店は、ちょっとはずれて寺町通や御幸町通を歩いてもないような気がする。

さて、夕食は道後麦酒館で地ビールとじゃこ天だ。

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2006年01月22日

橋の上で杖をつかないのは

遍路は橋の上で金剛杖をついてならないという。それは、お大師さんが橋の下で休まれているかもしれないからだ。

43番明石寺から44番大宝寺への道中に、十夜ヶ橋(とよがばし)という番外霊場がある。

ここは弘法大師が一夜の宿をこわれたとき、誰も泊めてくれる人がおらず、橋の下で一夜を過ごされた場所だとされている。

その夜はあまりに寒く、一夜が十夜にも感じられるほどだった。それで十夜ヶ橋と呼ばれるようになった。

この故事から、お大師さんの眠りをさまたげぬよう、遍路は橋の上で杖をつかない慣わしになったという。

橋はもともと、此岸と彼岸をつなぐもの、異界との接点のように考えられていた。サエノカミ(塞の神)とも呼ばれる道祖神は、橋のたもとや峠、辻などにまつられているが、これは異界との境を守ってくれる神様だ。

昼と夜のあいだのたそがれ(誰そ彼)時が逢う魔が時であるように、橋は逢う魔が場所だったのだ。

もしかしたら、橋の上で杖をつかないという遍路の慣わしにも、古い民俗的な慣習が名残をとどめているのかもしれない。
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2006年01月17日

金剛杖と大師の杖

お大師さんの分身として遍路に親しまれている金剛杖(こんごうづえ)。

1本の杖が弘法大師空海の象徴となった背後には、いにしえの民俗信仰的な流れが関係していたのかもしれない。

大師講(だいしこう)という民俗行事をご存じだろうか。弘法大師、元三大師、聖徳太子などをまつり、日本各地で旧暦の11月23日に催されていた年中行事だ。

大師講では小豆粥などを作って供えるのだが、このお供えには長い箸や、長さの違う3本の箸を立てたりする。3本のうちの1本は杖だと考えられている。

これを「大師の杖」という。

ここでいう「大師」は、もともと人間ではなく、神の御子、「オオゴ」「オオイゴ」(漢字で書くなら「大子」)とも呼ばれる来訪神だったらしい。

その神様は、所によっては1本足であると思われていたふしもある。

柳田国男は「大師講の由来」のなかで次のように述べている。

「十一月二十三日の晩に国中の村々を巡り、小豆の粥をもって祭られていたのは、ただの人間の偉い人ではなかったのであります。それをわれわれの口の言葉で、ただダイシ様と読んでいたのを、文字を知る人たちが弘法大師かと思っただけであります」

だが、現在では一部の地域を除いて、オオゴやダイシ様は人々から忘れ去られ、「ダイシ講」は生活の中からほとんど消えてしまった。

一方、金剛杖は遍路の日常のなかに生きている。遍路宿に着いたら、お杖の先を洗って床の間に安置するといった行為には、どこか民俗的DNAが感じられる。

オオゴやダイシは今、遍路の金剛杖のなかに、「お大師さん」とひとつになって、形を変えて生きているのかもしれない。

posted by namo at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | へんろ雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

2005年夏遍路の終わりに

今回めぐる最後の札所、石手寺まであとわずかというところで、ある食事処に入りました。

注文した料理が出てくると、メニューの写真にはないものが付いていました。店員さんに尋ねると、ご主人から歩き遍路へのサービスとのこと。おいしくいただきました。

ご主人にお礼を言ってお金を払おうとすると、650円のはずが330円になっていました。半額にしていただいたようです。オマケを付けていただいただけでうれしかったのに・・・。

最後の最後まで、四国の人のあたたかい心にはげまされて、石手寺に向かいました。

店を出ると、スーパーの駐車場の案内をしている警備員の人が話しかけてきました。その人は、2日前に小田町から新真弓トンネルへのあいだで、道路工事の警備をしていて、少し話をしていた人でした。

「ここまで歩いてきたんですね!」とうれしそうに言ってくれました。

石手寺を打ち終えて、メルパルクに宿泊。ビジネスプランの割引が適応される日だったらしく、ツインの部屋に一人で泊まって、素泊まり4999円でした。部屋もきれいです。

早めの夕食を、道後温泉本館横の「道後麦酒館」でとりました。坊ちゃんビール、マドンナビール、漱石ビールの3種類の地ビールと、宇和島のじゃこ天や今治のせんざんきなど愛媛特産のおつまみがあります。ビールは3種類とも飲みましたが、味はまあふつうです。でも、湯上がりにビール一杯だけでも気軽に入れそうな雰囲気でした。

ふと店の窓から道後温泉本館のほうを見たら、この旅でよくいっしょになっていた「ささのはぱんだ」さんが、ビニール袋を片手に、携帯で本館の写真を撮っているところでした。

ちょっと感慨深いものがありました。

翌日、早朝に道後温泉本館で入浴して、「神の湯二階席」の大広間でくつろぎました。お風呂はけっこう人がいたけど、二階席は人も少なくのんびりできます。涼みながら久しぶりに瓶入りのコーヒー牛乳をゴクゴク飲みました。

宿をチェックアウトし、松山市立子規記念博物館と愛媛県美術館に立寄り、歩いてJR松山駅へ。今回の旅はこれで終わりです。車窓を通り過ぎる四国の風景を眺めながら帰途につきました。

(※写真はクリックすると大きくなります)
posted by namo at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 2005年夏遍路写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

龍の像

石手寺にはほかにもあやしげな像や建物がいっぱい。

この龍は入口付近にあって、頭の上に観音様みたいな像が乗っています。

51石手寺龍20cm.jpg
posted by namo at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 2005年夏遍路写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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